声のお仕事をやりたかったら。

本日は快晴なり☀
という言葉がこれほど似合う日はそうそうないだろうなぁ~と思うくらいの青空が
今日は広がっていましたね~✨
湿度がないから空気もカラッとして、今は本当にいちばんいい季節ですね~^ ^

改めまして、こんばんは☆ さけみぃです^ ^♡

そういえば今日の話題に【鬼滅貧乏】なるワードが上がっていたんですけど、
気になって調べてみたら「鬼滅グッズを買い過ぎて貧乏になること」だそうなんですけど…
「わー、わたしのことかも⤴⤴⤴」て、思いました(〃▽〃)ポッ←照れるところではない。
グッズはそんなに買っていないとは思うのですが、鬼滅関連と言うべきものには
かなり貢いでます。(`・ω・´)キッパリ 
鬼滅関連、と自主規制入れさせて頂きます。裏管理人さんが渋い顔をしているので…(;^_^A
明日は無限列車に乗車する予定ですし、まだまだ貢いでしまいそうな今日この頃です…(;’∀’)ハハハ

さて、本日のお題は 声のお仕事をやりたかったら です。

実はさけみぃ家、まだテレビを購入出来ていないんですよ・・・こんなにテレビがない生活、初めてです😢
見ないのと見れないのだと、全く違いますね。

今も「しーん…」とした家の中でこのブログを書いているのですが、静かすぎて反って居心地が悪いです…
なので、スマホでアプリを探して「ラジオFM」なるものをインストールしました。
こちらは主に地方局FMを流しているのですが、自分の住んでいる地域のFMを流すと交通情報とかスポンサーCMとか本当に「あ、あそこか」とわかるくらい地元ネタで、親近感もひとしおになりました。
(東京だと交通情報は箱崎JCTとか首都高の話題が多いですもんね。当たり前ですが。)
声が聴けるだけでも本当に家の中に活気が戻ってきたようで、今はFM放送に助けられています。

自己紹介でも軽く触れましたが、わたしは20代の頃にラジオのDJになりたくて、約1年間東京にある
アナウンサー学校に通っていました。
コースは【ラジオDJ養成コース】だったと思います。ちょっとうろ覚えですが…💦
約1年間の実技および座学講習を得て、最後の卒業試験がオーディションとなり、それに合格したら正式に
プロダクション所属になり、本格的にその道に入っていく、という名目だったのですが…

入学してすぐに自分の見通しの甘さに愕然としました。

まずは卒業試験に合格できるか=プロダクションに所属できるかは絶対ではない、ということ。
それは落ちたら無理ですよね-。でも、合格するまで講習を受けられるわけではないので、この学校での
チャンスは1回きりだったんです。

あとは、年齢的なもの。クラスの多くが18~21歳ぐらいで、ほぼ高校卒業したてか、大学3年生ぐらい。
当時すでに銀行員だったわたしは「若いな~」と思いながらも、自身が20代半ばに差し掛かったところだった
ので、1,2年ぐらいの差は大丈夫だろうと思ってました。
でも、担任の先生に「さけみぃさんは始めるのが遅かったね。」とはっきり言われてしまいました…。

この担任の先生も忙しい方で、当時学校の他にいくつかナレーター等のお仕事を抱えていたと思います。
当時CMにも声の出演をされていました。なので、先生とクラスの一部女子で講習が終わったあとにお茶をする機会が一度しかなかったくらい。でも、その時にいろいろお話が聞けました。
(ほとんどはこれからの自分たちの方向性についての相談だったのですが・・・)

先生曰く、声のお仕事に本気で就きたいなら、もう若年層の時からその道の先生に師事して準備するのが
当たり前なんだとか…
あとは帰国子女で英語がネイティブ並みだったら、キー局が開催しているコンテストに応募して一発合格を
して、デビューを目指すとか。
それもなければ、クラブで一発歌ってこい、当たればそのまま道は開ける『かも』(強調)、
というとんでもないくらいハードルの高い提案をされました…この時点でわたしは意気消失。
たとえプロダクションに合格してもピラミッドの底辺に名を連ねることが出来たくらいで、そこからDJの仕事が入ってくるかどうかは、この業界は実力とコネクションがものを言うところだから難しいよ、とその道のプロに言われたら、真面目に今の仕事してようかな…という気になってしまいまして…。

結局は挫折しました。はい。もう、ぽっきりと。

最後の演習と卒業検定=オーディションを受けずに、そのまま退学しました。

ちょっと声がいい、とひとから褒められたぐらいでいい気になっていたツケです。
この世界の何たるかを知らずにただ甘い夢ばかり見ていた自分が本当に情けなかった…
もう少しディープな話も担任の先生から聞けたのですが、あまりよい話ではないので、そこは割愛させて
頂きます。

この学校を退学してからちょうど10年経ったぐらいに、とある地域にあるアフタヌーンティールームで偶然横に居合わせたお母さんとお嬢さんの二人組の会話にわたしは驚くことになりました。
お母さんはたぶん40代後半から50代はじめぐらいだったと思います。
この方がハッとするほどの美人✨ お嬢さんも可愛らしい方でしたが、お母さんの方がたぶんすれ違ったら
二度見するぐらいの綺麗な方だったと記憶しています。

問題の会話なのですが、お嬢さんが隠さずにはっきり言っていたので今でも覚えています。
「在京キー局、全部落ちた」と。
アナウンサー志望の方でした。最後の一社が最終選考かその手前かで落選の通知が来たと言っていました。
あとは地方局も受けていたようですが、話しぶりからみても、どこかもうダメだと諦めていた様子でした。
あまり手応えを感じなかったのかもしれません。
お母さんもあまりのことに二の句が続かなかったようでしたが、お嬢さんはそのあと、落ち込むよりもキッパリと「とりあえず、今後のことは先生と相談してから決めたい。」と言ってました。
(ああ、この方はもう小さい頃からアナウンサーになりたくて師事を受けていたんだな…)と思いました。
しかも、どうも個人レッスンを受けていたようで、親御さんともども並大抵でない気合の入れぶりを
実感しました。

だからこそ、これから先のことを彼女がどう選択をするのか気になってしまったんですけどね…

偶々、隣り合わせになっただけの存在。でも、わたしも彼女には到底及びませんが、声のお仕事に就きたいと
思っていた身の上から、なんとなく他人事の様でそうでないような、不思議な気持ちで会話に
聞き入ってしまいました。
その後すぐにお二人は席を立ってしまったので、そこまでしかお話は聞けなかったのですが。
(聞き耳をたてて、本当に申し訳なかったです。)

本当に成功するのは一握りなんですよね…
しかも成功してもそれがいつまで続くかも分からない。特に女性アナウンサーは30歳節目説もあるぐらいです。その後の人生の方が長いのに、小さい頃から努力しても、活躍出来るのは努力した期間以下に
なるかもしれない…
それにたとえ成功したとしても、後から後から自分が築き上げた地位を脅かす存在は出てくるし、
流行ればいつか廃れる世界。生存競争にいつまで自分が耐えられるか…
それを考えた時、わたしはやっぱりこの世界には向いていなかったな、と思いました。
こういった世界に生き残ろうとするだけの気合が、わたしには足りない。
その気持ちがあったなら、学校の担任の先生に言われたくらいで凹まず、オーディションまで受けていた
と思います。

挫折したわたしが声のお仕事につきたかったら、なぞと講釈を述べられるような分際ではありません。
ですがこれから目指そうとする方に、煌びやかに見える世界で成功したいと思っているひとは数多おり、
その中で自分の席を勝ち取り、そこから先もその席を守り続けることが出来るかは、誰でもなく
自分ひとりだけの戦いになると思います。
それでも志を半ばにせずに突き進みたいと思っておられるなら、わたしは本当に心から応援したいです。
わたしが出来なかったことを託そうとするのではなく、言わば、ピラミッドの頂点に立てるだけのものを
きっとその身に持っている方なのですから…

本日もお付き合いいただきありがとうございました✨

また次回もぜひお越しくださいね♡